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造形構想学部・造形構想研究科の「いま」を伝える

「創造的思考力」を培う教育とは? 教授陣が語る学びの特色  第7回

感性の教育に改めて目を向け
社会変化に応じた教育の仕組み自体も構想する

対談

新学科、新研究科の客員教授となる高濱正伸氏(写真左)は、学習塾「花まる学習会」において、思考力、読書と作文を中心とした国語力、野外体験の三本柱で、将来「メシが食える大人」「魅力的な人」を育てる教育活動を実践してきた。子どもの本質を見据えた教育は、新しいムサビにどんな相乗効果を生み出すのか。岩佐浩徳客員教授と長谷川敦士教授の対談に続き、今回は高濱氏と井口博美教授(写真右)の対談の模様を紹介する。


非認知能力を育むことがこれからの勝負

井口:さまざまな場面で高濱さんのお話を伺ってきて、ややもすると「受験のためにある」と思われがちな学習塾こそが時流に応じた教育を行っているという想いを強くしました。一番重要なのは「子どもの自立性をどう養うか」だと話されていたことや、花まる学習会では創作ワークショップや野外体験も行って、知識だけでなく観察する力や他人を思いやる想像力、感性といったものを育んでいることにも感銘を受けまして。絵を描くだけではなく「創造的思考力」や人間力をそのおおもとで培っているムサビの造形教育とも共鳴する部分があると強く感じたんです。
今回、高濱さんに客員教授に加わっていただくことで、高濱さんの経験や知恵も借りながら、社会情勢に応じた新しい美大のモデルをつくっていけると思っています。世の中の流れがエデュケーションからラーニングに変わり、デザインやアートに対する期待も社会的に高まっているいま、それが世の中における美大のあり方を明確にし、幅広く社会へ貢献していくことにつながるのではないかと。

高濱:なるほど。まず、井口先生が話されていた感性や人間力に関して言えば、講演会でよく話しているのが「基盤力」についてなんです。基盤力とは体力や知識、言葉から成るもので……(黒板に図を描きながら)学習塾の多くはもっぱらボトムの部分(基盤力)を伸ばす教育を行っている。基盤力の上に基盤力を築く人もいて、テストの点数をきっちり取る人というか、役人や大企業の真ん中を支えているような人ですね。

一方で、花まる学習会は基盤力の上に思考力や人間力、感性を築くことがいかに大切であるかを伝えてきました。欧米を中心にMBA(経営学修士)からMFA(美術学修士)に関心が高まっている背景にあるのも、基盤力の上に何を築くかに人々が目を向けるようになったからだと思います。

いままではある意味「データ病」だったんですね。みんながみんな「エビデスンスだ」と言って外部のコンサル、第三者にお願いするのも、「大丈夫そうです」と言ってもらうことで説得力を持たせたいから。でも、それで誰も責任を取らなくなった結果、かつての大企業が破綻しているわけです。

結局、人材や教育は平均値を取れません。だからこそ、違う者同士が一緒になったときに「この人とこの人はこう配置したほうがいい」とパッと感じたり、根拠がなくても「このアイデアはいける」と言い切れる自信、つまり「非認知能力」を育んでいくことがこれからの勝負だと思います。それが、時代がどんなに変化しても本質的に物事を考える思考力と体力で乗り切れる、「メシが食える大人」を育てるということなんです。

対談

とはいえ、9割9分の日本人は「偏差値が高いなら医学部を受けなよ」という感覚で、人生そのものに焦点を当てるのではなく、偏差値表ですべてを仕分けしている現実もある。これは幼児期の教育から言えることで、たとえば2歳くらいの子どもはグニュグニュと線を描きますが、親が「これ、何を描いたの?」と尋ねることから制約が始まっているんです。親は意味のあるものを描かせたいし、写真のように見える絵が上手という既成観念がある。だから「キリンならもっと首を長く描かなきゃ」と型にはめようとしてダメになる。子どもって本来は何にでも興味があるし、好きなことだらけなはずなのに、親の言葉で興味を失ったり、自信がなくなったりしてしまうんですね。

自分のペースとは関係なくやることが決まっていると、全部「やらされ」になってしまいます。だからこそ、失敗してもいいから自分でものを考えて行動してみる自信を培っていくことがいまの日本に問われていることだし、そういう意味で「感性の教育の再構成」はこれから必ず起こると思います。

自分が感じていることを丁寧に言語化する

井口:ムサビに限らず、美大という存在は何となく高貴でアジールなイメージだったと思うんです。そこだけは世の中と別格の聖域というか、好きなことだけやっていきたい人だけが集まってくるような性質が、特に美術学校の時代はありました。

それが戦後に「美術大学」となり、美術学校の精神性は踏襲しながらも大学として教育・研究に取り組み、社会貢献度を高めていかなければならなかったはずなのに、特別な人のための特別な教育機関であり続けてしまっていたと感じるところがあるんです。近年、「デザイン思考」が注目されてさまざまな大学がデザイン教育を推進する中、アート・デザイン教育の本丸である美大は果たしてその流れに応じられているのかと。

対談

高濱:大学教育については「言葉を分厚くしましょう」というか、「自分が感じていることを丁寧に言語化していく」ということは言えると思います。花まる学習会を立ち上げて4、5年目の頃、私の授業はいいけれどほかの社員だと人が集まらなくなった、教室や生徒の数をなかなか増やせなかった時期がありました。それで、子どもからも親からも掛け値なしに魅力的な人に見られるためにはどうすればいいかと議論して、社員の言葉を鍛えたんです。

具体的には授業が終わったら日報を書くというシステムを取り入れました。授業って毎回、必ず感動に満ちているんですね。たとえば、いままで椅子にきちんと座れていなかった子が今日は座れている。何があったのかと聞くと「お父さんが単身赴任から帰ってきた」と言うわけです。子どもの気持ちの変化や日々感じて考えたことが、授業には必ず表れるんです。

井口:日常的な授業の中に、大切なドラマがあるんですね。

高濱:それをきちんと感じて日報で言語化し、上司と部下でコメントのやり取りをする。そっけないことしか書いていなかったらもちろんダメ出しですし、月に一度、書き溜めたものをもとにコラムも書かせた。それは「商品」ですから、書くほうも書かせるほうも大変でしたが、2年ほど続けていると、人前で講演できるほど社員に自信がついたんです。

いま、とある大学で特任教授を担当していて気がかりなのは、そういう教育が大学ですらなされていないということです。先生が教えたことを再現するようなレポートばかりで、本人が感じたことをきちんと拾って言葉を書かせていない。自分の言葉を蓄えないとオリジナリティーなんか出ませんし、自分で決めて行動する力も育まれませんよね。

井口:美大生も日々、いろんなことを感じながらものづくりに取り組んでいますが、基本的にはアーティストやデザイナーといったプレーヤー指向が強いんです。ただ、社会的に従来のデザインのあり方が大きく変わりつつある中、専門的な造形力や表現力に頼り過ぎるのではなく、プロデューサー指向というか、課題の本質を捉えたら率先して解決に向けて取り組めるような人材を育てることが重要だと思っています。ですから、今回の造形構想学部は造形よりも「構想」に重心を置いていることをあえて強調し、社会の変化に応じた教育の仕組み自体も構想するという位置づけにしているんです。

高濱:IDEOがまさにそうですよね。病院の緊急治療室に運ばれる患者の想いを追体験することで、何に嫌悪感や不安を覚えるのかという隠れたニーズを見いだし、デザインのスタイリング的な面ではなく、現状を改善するより良い方法を提案できた。そうした「見えないものを見る力」は、クリエイティブを学んだ人間が得意だし、それを現実の社会にマッチさせていくことが、これからの美大が担うべき部分だと思います。世の中には美大的センスでできることはたくさんある。でも、大学の仕組みも社会の仕組みも、まだそれに対応しきれていないんですよね。

対談

井口:そういう意味で、新学科では1・2年次の2年間は鷹の台キャンパスでものづくりに励む学生と一緒に感性や人間力を鍛え、3年次からは市ヶ谷キャンパスに移り、従来の造形学部とは違った方向性の人材を育てていこうと考えています。

高濱:拠点となる市ヶ谷も良い環境ですし、楽しみです。社会は「自分のペースでやりたいことに集中した人間」を欲している。

井口:ところで、花まる学習会ではどんなかたちで野外体験に取り組まれているんですか。

高濱:いろんな目的がありますが、子どもの能力がどんなふうに伸びるのかを突き詰めると、結局は「好きなことに没頭する」ことの繰り返しなんです。先ほどの「見えないものを見る力」で言えば、「神社の裏にはあいつが隠れているに違いない」とか「この枝とあの丸太を持ってきたら秘密基地がつくれるな」とか、ないものを具体的に想像するタイミングは必ず「外」にいるときなんですね。でも、東京だとボール遊びをできる公園もないし、のびのびできる川や森もありませんから、長野や山梨に子どもを連れて行って外でしっかり遊ばせている。

本当に「野放し」ですよ(笑)。基地をつくりたかったらつくる、ダムをつくりたかったらつくる。で、「つくったら必ず壊す」の繰り返し。破壊と創造の反復というか、「壊してエクスタシーを味わい、またつくり始める」って、命令されてやるのではなく自分で決めているから楽しいんですね。そのときが一番良い状態の脳になる。

井口:親も連れて行くんですか。

高濱:基本的には子どもだけですが、釣りのエサをつけたこともない、鬼ごっこもちゃんとできない親もいますから、親の再教育という意味で親子一緒に遊んでもらうこともあります。

井口:それで言うと、子どもだけではなく親の世代でも「完全燃焼したことがある人」が減っていますよね。

高濱:そうですね。これは大学で教えることではないかもしれないけれど、やっぱり自分でやりたいようにやり切ることを繰り返していたら「悔いがない」と思うんです。私自身、思春期は女の子に明け暮れて、博打を覚えたら博打ばかり、芸術を覚えたらやれ映画だ、本だ、写真だと数カ月単位でハマっていた(笑)。親は泣いていたけれど、私は1ミリも悔いがなかったし、「誰よりもいま、幸せに生きている」と感じていました。思い上がりもいいところかもしれない。でも、そうやってレールを外れる経験、自分で決める経験があると、根拠がなくても自信を持って自分のペースで物事を進められるようになるんです。自信がないままだと、喜びを感じるのは「親が喜んでくれること」や「誰かに褒められること」になってしまう。

最近、あるネットメディアで「留年した人を取りたいという企業が増えている」という話を目にしましたが、それも「留年しなければいけない」というわけではないですよね。ハイ、ハイと「やらされ」で来た人間ではなく、自分のペースでやりたいことに集中した経験がある人間が欲しいということだと思うんです。

井口:ぜひ大学でも「好きなことを突き詰めろ、まだまだ甘い!」と学生にエネルギーを注入していただきたいと思います。いまのお話のような「自分のやりたいテーマを見つけられれば慌てることはない」ということは私たちもアピールしていきたい部分で、早い段階から文系・理系に分かれてしまい、「頭が良いなら医学部に」という構造の中で、何か面白いことをやりたい、社会の役に立ちたいと思っている中・高校生に対して「美大という選択肢もある」ことを積極的に呼びかけていきたいし、親の理解も求めていきたいんです。

高濱:「医学部に行ってほしい」みたいなことって、親の期待というか、親が社会的な価値を大事にし過ぎているからなんですよね。「学校なんかなくなればいい」と言う一方で、「不登校の子どもを学校に行かせたい」と既存のシステムに合わせてしまうような親はたくさんいます。そんな共同幻想は、市ヶ谷キャンパスから突破できるんじゃないでしょうか。

日本では一番勉強できる人は東大に行って医者か官僚になるけれど、アメリカでは起業家になるなんて話がありますが、私はそれを20代の頃に聞いてピンと来たんです。ゼロベースでものを考えて、新しい事業やサービスを生み出していったほうが絶対面白いと。

それで言えば、この新学科、新研究科で基盤力の上に築かれる感性をさらに先鋭化させたり、分厚い人間力を培うことを実践して、ある種のムーブメントにしていくことが意味のあることだと思っています。

対談

井口:ぜひこの挑戦的な試みが日本の教育改革モデルとなり得ることを信じて、強力なパートナーとして応援していただければ幸いです。本日はありがとうございました。


高濱正伸客員教授、井口博美教授のプロフィールは以下のページをご覧ください。
「カリキュラム」 教員紹介

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