武蔵野美術大学のクリエイティブイノベーション学科では、テクノロジーの活用を通した創造性教育にも力が入れられている。
理系の学生が、美術大学でテクノロジーを学ぶ意義とは何か?
サービスデザインの専門家で、自身も理系出身である同学科の長谷川敦士教授に話を聞いた。


複雑化する社会で「理系」が学ぶべきこと

クリエイティブイノベーション(CI)学科は、日本有数の美術大学である武蔵野美術大学に昨年生まれた新しい学科です。CI学科では、その教育の軸となる三本の柱として、「ビジネス」、「ヒューマンバリュー」、そして「テクノロジー」を掲げています。

なぜ、美術大学でテクノロジーを? そう思う人もいるかもしれません。たしかに、これまで美術大学と言うと、モノづくりを志す人が学ぶ「感性」の世界であって、テクノロジーが想像させる「論理」の世界とは対極のものだと捉えられていたかもしれません。

しかし、近年の社会変化のなかでは、この一見真逆のようにも見えるテクノロジーと感性が結びついた領域にこそ、じつは大きな可能性が広がっているのです。

背景のひとつには、デジカメの画素数を誰も気にしないように、テクノロジーが進化しただけでは価値を生まなくなってきた、ということがあります。たとえば、みなさんの多くが使っているiPhone。アップル社が生んだこの画期的な製品も、じつは技術的にそれほど新しいものではなく、むしろ「いまの社会に必要なものは何か」という観点から、既存の技術を組み合わせて生まれました。そこで大切だったのは、技術力の探求ではなく、問題を見つける「着眼点」だったわけです。

もうひとつの背景は、現代が「VUCAの時代」であることです。VUCAとは、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性という四つの英単語の頭文字。現代は、解こうとしても解決策がなかなか見つけられない「厄介な問題」に溢れた時代だと言われます。近年のニュースで耳にする、「LGBT」や「少子化」についての問題もそうです。こうした問題は、いろんな要素が関わっているため、その解決は一筋縄ではいきません。

重要なことは、ただ論理的に物事を考えるだけでは、その複雑な社会に対応することが難しいということです。むしろ、そこで必要となるのは、自分なりに仮説を立て、実際に手を動かし、不完全でもいいから一度何かのかたち(これを「プロトタイプ」と言います)を作ってみることから解決策を考えようとする姿勢です。手を動かすことは、考えることでもある。CI学科では、その姿勢を基本から学ぶことのできる環境を整えています。

テクノロジーを通じた創造性の教育

学部の1・2年次は、表現者の卵が集まる鷹の台キャンパスで、クリエイティブの基礎を一から学びます。ここで目指しているのは「作品の完成度」ではなく、ある物事を観察し、ほかの人が気付かないような課題や問題を発見できる、観察力や着眼点を育むことです。こうしたユニークな視点は、社会の様々な領域で応用できるものです。

その後、3・4年次には市ヶ谷キャンパスで、さきほどの「ビジネス」、「ヒューマンバリュー」、「テクノロジー」という三つの領域に分かれた専門教育が行われます。

このうち、テクノロジーの専門科目「クリエイティブテクノロジー」では、単純な技術の習得ではなく、技術を使ってどんな表現ができるのか、つまり、テクノロジーを通した創造性教育が目指されています。

たとえばいま、プログラミングを通じた発想力の教育は世界的に注目を集めています。しかし、国内の多くのプログラミング教育では、技術の習得に力を入れ、それを社会のなかでどう活かすのかといった、発想力や創造性の教育はあまり行われていません。CI学科は、この分野を学ぶことのできる貴重な場所です。

アプリの設計などに関わるUI(ユーザーインターフェース)の分野でも、専門的な教育プログラムを用意しています。また、市ヶ谷キャンパスでは3Dプリンタやプロジェクションマッピング機器を備えたプロトタイプスタジオが自由に使えます。そしてCI学科の大きな特色は、大学院や一般企業などと連携したプロジェクト型の学習を通して、実社会のなかで技術の活用法を学べることです。そこでは社会で必要とされるビジネススキルも学べることでしょう。

一層複雑化する社会に、豊かな技術力と創造性を持って向かい合う、多くの学生に出会えることを期待しています。


構成=杉原環樹