出品作家によるトークイベント「 “Mのたね”はこうして始まった」
2020年1月26日(日)
本展出品作家全員 × 鈴木潤子氏によるトークイベントが展示会場であるMUJIcom武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパスにて行われました。
展覧会が生まれたきっかけから今回の展覧会コンセプト、出品作品について、そして今後の可能性を含めたトークとなりました。
その時の様子をお届けいたします。


鈴木(司会):武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス共創スタジオにおける武蔵野美術大学の教員・助手による展覧会「Mのたね」トークイベントにご来場頂きましてありがとうございます。2019年4月武蔵野美術大学は新大学院、および新学部、新学科の開設とともに市ヶ谷キャンパスを開設。美術大学として新しい挑戦をはじめました。10年後の2029年に100周年を迎えますが、そのスタートとしての挑戦となります。共創スタジオは、株式会社良品計画と共働し、新たな学びを通して社会に問い、進化し続ける場をめざして誕生しました。発足以来様々な、大学関係以外の方たとえば、地域の方、また企業の方と一緒に多くの学びの場として活用して頂いております。
本日のトークは「Mのたねはこうしてはじまった」と題しまして、6名の作家と進めたいとおもいます。登壇者をご紹介します。伊藤誠さん、小林孝亘さん、小林耕平さん、鈴木康広さん、この企画のきっかけをつくられた冨井大裕さん、そして、椋本真理子さんです。

冨井:武蔵野美術大学彫刻学科で教員をやりながら、美術作家として活動しております。なぜ大学のキャンパスでもあり、無印良品の店舗でもある場所で展覧会をしているのかという経緯を簡単に話します。市ヶ谷キャンパスとMUJIcomを上手く使えないかということで、市ヶ谷キャンパスのスタッフと親交があった僕が話を持ち掛けられて、実現したのがこの展覧会です。僕の動機としては大学とかMUJIとかそういうことを抜きに、せっかくできた場所を、面白い場所を、もったいない状態にしたくなかったんです。とにかく何かで使い倒していくということが重要で、この展覧会から今後、何かが起きるかどうかはわからないんですけども、とりあえず使っていくことで新しく使う人が現れて、それによって何か新しいモノが生まれて、その連続で、「場」の指針が見えてくればいいだろうなと。そのきっかけとして、「何をやるか」。僕は美術家なのでそういう面白いことをする方法として、展覧会しか浮かばなかったんです。作品による展覧会しか浮かばなかった。そういうわけで、この方たちに声をかけました。

鈴木(司会):「Mのたね」というタイトルを提案したのですが、無印良品は世界中に800店舗以上あるんです。半分ぐらいが国内ですが、キャンパスの中にあるのは、ここだけしかないんです。ここはMUJIcomという特に街に溶け込んだ形態のお店なので、ホワイトキューブで場所を区切って、「作品です」っていう形ではない、この場でしかできないことを考えたいと、この展覧会を企画してもらいました。
冨井:一応僕の中でイメージしたのは展覧会なんだけれども、肝になるのはMUJIと関わって欲しいということ。と、 MUJIをどう使うかということなんです。それはモノを素材に使うかもしれないし、モチーフになるのかもしれないし。僕も(作家のみなさんに)協力を依頼して、振るだけ振っといて予想外の反応を皆さんにされたので、これからお聞きしたいと思ってます。
MUJIcom店長の判断で全部使ってよろしいぞ、と。結果的には MUJIの商品を使うということと、 MUJIの場所を使うという両方の意味がこの展覧会で出てきたかなと思います。
鈴木(司会):すごく短い時間、1ヵ月という短期間で準備をしなければいけなかったのですが、店舗の全面協力で作家にまずこの場所来て見てもらい、それから商品とか本とかサービスとか、そういったモノの中から、作品を作って頂くという流れが自然にできたと思います。

冨井:このキャンパスの立ち位置としてはクリエイティブイノベーション学科という学科が入っていて、ファインアート、いわゆる絵画とか彫刻とか、「美術」という時に想像するような学科が入ってないんです。そういうこともあって、あえて彫刻とか絵画という領域で活動している作家をまず選ぼうと。それで彫刻であったり、絵画とか映像の作家が参加しています。加えてファインアートとはちょっと違う、鈴木康広さんですが、空間演出デザイン学科というところで教えています。この学科は、学内でも学科名だけ聞くと謎な学科で、そこで一番「謎」な作品を作ってる方にも入ってもらおうという。鈴木さんは、表現ということをデザインとかファインにはまらない、表現そのものを作ろうと思っている。そういうことをしている方をお呼びしました。
1ヵ月という短い準備期間でしたが、決まったテーマ、無印良品とやると言われても、MUJIのことが嫌いな人がいるかもしれません。もしくは好きすぎる人もいるかもしれないんですが、そういうことを抜きにしてこのテーマを理解できる、自分の得意とする表現に引き寄せて、逆にMUJIを突き放すような形で対応してくれる人たちを呼びました

鈴木(司会):ほぼ全員では 1回しか打ち合わせしておらず、各自で下見をして頂いて、ほとんど皆さんから質問もなく、粛々と作品を作って頂いて今日を迎えています。まず伊藤さんから作品についてお話を頂いて順番にすすめます。

【伊藤誠 先生トーク】
伊藤:宜しくお願い致します。伊藤です。私の作品は入って正面のところにある、大きな手の写真と、店内の天井から吊ってある作品です。
私の製作スタンスと今回のテーマとの関わりについて話したいと思います。

私は特定の素材のような作品を作る制約をあまり設けていないタイプの作家なんです。ただ作るときに実は必ずある制約が、状況の中から出てくると思うんです。その制約をできるだけユニークなものとして捉えながら作っていくスタンスでやっています。だから無印良品の商品を必ず使うという今回の企画の話を聞いた時に、いつもどおり作品が作れると思いました。MUJIの商品じゃなきゃいけない部分、MUJIの商品だからこそできる部分があり、私はその商品をいわゆるレディメイドとしてではなく、強引にぶった切ったり、繋いだりしてしまいましたが、そのことによって起こること、発見することについても、面白く話していけたらいいなと思います。出品した新作はすべて「ボート」というタイトルがついています。もともと「ボート」というシリーズが私の作品の中にあって、乗り物だけど乗るんじゃなくて装着するタイプですが、上が鏡になっていて、それを装着するのでずっと上を見ながら歩くというものです。

基本的に人間に寄生して変なものを見させるパラサイトなものです。このパラサイトな彫刻というのは自分の中では実験的な位置にはありますが、オブジェクトを作ることによって、一つの「場」を作るということでは彫刻として解釈しています。そういった「場」を作るということは今回の一つのキーワードになるかもしれません。上が鏡になってるから上が見えるんだなと想像できるかもしれませんが、実際装着してみると妙な現象が生まれます。「上を向いて歩こう」というタイトルで、装着体験みたいなものができるワークショップも企画しましたが、上を向いて歩くことによって何が起きるのかというと、普通モノを見るとき、足で地面に立って見ることが基本になってると思います。あまり意識していなくても、地面に立っている身体感覚とモノを見るということが一致しているから割と落ち着いて見ていられるんです。しかし上を見ることで基準点がずれるんですね。歩くことによって、どんどん基準点からずれて、更新されていくことから、変な状況に追いやられます。そういう立ち位置を更新していく装置みたいなモノを経験して頂ければと思っております。
冨井: MUJIの商品を実際どう見て、どう使ったのか聞かせてください。
伊藤:機能を前提としてデザインを考えることが普通かもしれませんが、そうではなく、モノが発する機能があると思うんです。だからMUJIの商品を見て何に使えるのか、そこから発せられた機能を中心に考えました。
冨井:この場合の機能は、いわゆるMUJIが提案してる機能とはずれてくることもあるんですか?
伊藤:箱があればそれが椅子としても機能する。そういうような意味ではあります。

鈴木(司会):次は小林孝亘さんです。
【小林孝亘 先生トーク】
小林(孝):小林孝亘です。僕の場合は、企画の話を聞いたときにメンバーを見て、僕以外は立体だったり、映像を作ってる作家ばかりだったので、僕に課された使命は絵なのかなと。テーマは無印良品にあるモノをどう使ってもよいということだったので、商品をモチーフに絵を描くことで、すぐに決まりました。僕の作品は、入口にある花瓶のようなものが逆さまになった絵とキッチン用品売り場にある小さい絵ですが、小さい絵は無印の商品を使った作品で、ステンレスレードルというひしゃくと、液状のりがモチーフです。

ひしゃくは形の綺麗さから選びました。今いくつか自分の中でテーマとして扱っているモチーフの一つに積木があって、今回もステンレスレードルと液状のりをつみきをテーマに組み合わせて絵にしようと考えて。普段描いている積木の絵は、背景に茂みがあって、二つを茂みに描くことを最初に考えたんですけれども、どうもしっくりこなくて、いわゆる静物扱いで二つを描きました。積木を描いている理由を簡単に言うと、ありえないバランスにあるところを描いて、そういうバランスで存在してることに何か感じてもらえればなと思って描いています。だから新作の小さい絵の方は、実際のモノをありえないバランスに組むことはできなくて、ただ普通に、あたかも普通にあるように見えたらいいなという思いで描きました。普通に見えてるけど、よく見たらなんか変だなっていうぐらいなところから、見た人が思いを巡らしてくれればいいのかなと。あとはキッチン用品売り場を展示場所に選んだのは、絵がかかってるすぐ後ろにその商品があったんです。

振り向けば本物が見えて…こういう場合はモチーフがあったとしても、モチーフを見ながら描くわけではなくて、全く何も見ずに描きます。質感もそんなリアルに描いてるわけではないし、そういう中で実際のモノがある、他にも商品がいっぱいある中で絵に一点だけ、その商品と同じように見えるものが描かれてある。ホワイトキューブで白い壁があって隣にも絵がある見え方と、全く違う見え方はあまり経験がないので、自分でもどう見えるのかこれから確認したいなと思います。
冨井:新鮮なことをされたんですよね。今回、小林さんは一番最後にお声がけをしました。(小林さんとは)僕は学生時代からお付き合いがあって、僕なりの小林さんの作品の解釈があったことで、逆にお誘いするのが遅くなってしまいました。小林さんは、普段モノを体験の中でじっくり定めていくと思うんです。形のありようとか。多分それが絵の構図にも反映されるんだけど、今回みたいに例えば、伊藤さんのようなタイプは、ぱっと反応して、自分の作品にいきなり強引に組み込むところが面白いところかもしれないんだけど、小林さんにはその強引さがあんまり合わないのかなっていうことがありました。鈴木さんがホワイトキューブで場所を切るようなあり方ではないと言っていましたが、そういう中で絵を成り立たせる場所があるのか勝手に心配して…。結果、それがラディカルな形で出てしまった。
小林(孝):下見で絵を展示する壁面を探した時に、店内の左側は鉄板が壁になってて、逆にカフェ側はエイジングされた木材みたいな感じで、自分の中ではカフェ側の方がいいかなと思いました。ログハウスの中に展示してるみたいで、作品がどう見えるのかなと。モチーフに関しては、描いてたら徐々に形が変わっていきました。例えば、のりは形状をだいぶ省略はしてるけど、本当にただの円筒になったりする可能性はあるのかと。それを今の状態で留めた辛さは多少あります。

鈴木(司会):ありがとうございます。では、小林耕平さんお願いします。
【小林耕平 先生トーク】
小林(耕):小林耕平です。僕は入口入ったところの3つのモニターを使ってます。去年の後半にいくつか大きい展覧会があって、やっと搬入終わったタイミングで、この企画があって、こういう場所を盛り上げていこうと話があり、解放された勢いで承諾してしまったのが事の発端ですね。

これでゆっくりいい作品が作れるって思ったタイミングで話が回ってきました。テーマを人に出すのは好きなんですけれども、自分で受けるのは結構苦手なんですよね。でも承諾した手前、日ごろやらないようなことを引き受けてみるのも新たな領域に入れるんじゃないかと思って、面白がって受けてしまいました。下見に来た時も、普段の製作では既製品とか使うんだけど、ここまで洗練されたものは使えないなと思って。そんなとき「 MUJIが生まれる思考と言葉」っていう、無印のコンセプトブックを見つけました。僕も本気でなにかプロダクト製品を提案できたらいいんじゃないかと考えたんですけど、本を開いたらまずはじめに「人の役に立つこと」って書いてあって、今まで一度も考えたことがなかったなと思って、、、まずは便利グッズみたいなのをいっぱい考えたんです。日常を観察して、こういうものあったら便利かなみたいなこととか。さすがに作品になりませんでした。匿名性というか、「ただそこにあるもの」みたいなコンセプトがこの本にはあるので、作家性が強調されたらまずい、自分が今までやってきたこと全部否定していくみたいな。そうすると何も残らないんですよね。(笑)最近、画像というか写真に関心があって。作品のタイトルを「瞬間レリーフ」というドラえもんの道具で出てきそうな名前をつけちゃったんですけども。写真に代わるメディアとして、粘土一つでいけんじゃないかと。

冨井:瞬間の表現というか、転写するみたいな。
小林(耕):それを提案してみようと思いついて、制作した映像なんですが、結構画期的なんですよ!粘土一つあればカメラか写真に代わるメディアなんですから。像の中で、山形君にどんな経験を写真にしてみたいか聞いたら、彼の友人がロボットレストランについて話している様子を残したい。みたいなことを言うから、瞬間じゃないなと(笑)。写真で写んないモノを言うな〜と思って。じゃあそれをレリーフにしようと。僕が色々参考作品みたいなモノを見せながら、山形君に瞬間レリーフの作り方を指南する映像です。
冨井:小林君だけ、モノというよりはMUJIの概念を使ったんだよね。
小林(耕):もう一つは、 MUJIの製品はやっぱり観察からできていて、形そのものに一つ一つ根拠あるわけだから。粘土をカメラとして扱うための道具としてMUJIの概念を使わせてもらいました。

鈴木(司会):次は鈴木康広さんです。
【鈴木康広 先生トーク】
鈴木(康):鈴木康広です。僕は2004年くらいからMUJIと関わりがありましたが、ムサビの市ヶ谷キャンパスとの連携という点でも、今回は全く違う関わり方かなと思って参加しました。もともとMUJIにとても興味があり、アートディレクションを手掛ける原研哉さんの実験的な商品開発のプロジェクトに参加したり、衣料品の新聞広告に出演したこともありました。東京湾を背景にMUJIの肌着を着て写真を撮ってもらったことが印象に残っています。広告系の雑誌ではこの坊主頭は誰だって書かれてました。今回は彫刻科の冨井さんに声をかけていただいたということもあって、MUJIという文脈を深く考えたらいいのか、適当にというか僕自身の文脈から発想したらいいのか、最初はわからなくて。でも大学のゼミの講評にも快く来ていただいたので、とにかくこれは断れないなと思って、ちょっと大変な時期でしたけど参加させて頂きました。それで今回はコップというモチーフを軸に新作と旧作を出品しました。

僕はこれまで定められた自分の表現方法がなくて、ないからこそ色んなことがやってこれたのかなと思っています。今回は、小林耕平さんの作品から粘土のすごさを教わりまして、粘土も挑戦してみようかなと思ったところです。今、小林さんのお話を伺っていて、僕自身も「瞬間」みたいなものをどう捉えるかずっと考えてきたなぁと再認識しました。止めて定着すればいいわけではなくて。見る側が生きている以上はどんどん動いて変化していくので、それを留めようとしたってどうにもならないわけです。例えば、対象をチラっと見ると、より強く像を記憶できることは経験的に確認済みで、ジーっとみると意外と自分の中に残らないんです。チラッと見たものをよく覚えている感覚はみんなも同じなのか、ずっと気になっています。逆に、ある印象を人にインプットするってどういうことなのか考えた時に、写真ではジーっと見させることができてしまうから難しいなと思っていて。チラッと見させたいけれど、ジーっと見させてはいけない…。そうすると美術館のような場所では、チラッと見て通り過ぎた、むしろじっくり観られなかった作品の方が観客の記憶に残っていることもあるのではないか。今回の店舗のような場所では、作品をチラッと見させるには適する場所ではないかと思いました。そのような関心もコップを回した背景にあったのですが、使ったのはかつてMUJIで売られていたアクリル製のコップなんですね。ずっと売り続けているかと思って、ワクワクしながら店舗に確認に行ったら、ビーカーのような丸みを帯びた形にいつの間にか変わっていました。当時、僕はなぜそれを買ったのかというと、ある時コップを半分に切りたくなったんです。

ガラスだと切れないけど、アクリルなら自分でできると思って。半分に切って、もう15年くらいずっと身近に置いてあったんですね。そして、ある時からそれを回してみたいと思うようになった。半分のものを回すのは意外と難しくて、それなりに技術とアイデアが必要なんですね。それがようやく今だったら実現できるかもしれないと思って挑戦しました。半分のコップがもともとの形を残像として描き出すというものです。コップがそこに「ある」ということをどう捉えたらいいのか、コップは実際に人の目には不確かな四角い像です。みんな触った瞬間に、はじめてその素材に気づきます。アクリルのコップであることを伝えると、「あ、アクリルなんですね」と言いますが、それまではガラスだと思ってるんですね。モノがそこにあるということがいかに不確かであるか、そういった経験が40歳くらいでようやく身についてきて、15年以上前のある日にMUJIで購入したコップをこうして形にできたことに縁を感じています。あと、余談ですが、今回、オープン当初は回転の調整に何度もメンテナンスに来ていて、市ヶ谷駅の橋を何度も渡っているんですけど、この間、水の上でカモの群れがぐるぐる回って、よくわからない動きをしてたんですね。その様子を撮影してツイッターにアップしたら一気に拡散されて、ウェブニュースやテレビから取材を受けました。プランクトンを集めて食べているらしいんですけど、なんとカモが泳いだ後ろにプランクトンが集まってくるらしいんです。それを追いかけてみんなで円を描いているんですけど、直線だと一番先頭のカモがプランクトンを食べられない問題があって、それで連なって回ってるっていう。ぐるぐる回る作品を作りながら、ぐるぐる回る珍しいカモの現象を目撃できたっていうことが、僕にとっては意味深くて感動してるところです。
冨井:今回の企画を考えた時、鈴木(康)さんを呼びづらいなと思ったことがありました。MUJIと親和性が高すぎるのもつまらんなと思って。鈴木さんにとって面白いことになるのかな?という心配がありました。
鈴木(康):大丈夫です。最近はあまり関わりがなく、普通のお客さんになりつつあったので、むしろ新鮮な気持ちで参加できました。

【冨井大裕 先生トーク】
冨井です。これまでの話を聞いてわかる通り、僕は企画する立場にいたんですけれども、なんでそうなったのかというと、僕自身が、鈴木潤子さんのキュレーションで2018年に有楽町のATELIER MUJIで展覧会をしたことが今回の企画に繋がっています。僕の作品は、レトルト食品が並んでいる柱に展示している写真が主で、今回のための新作です。

2つ目は伊藤さんの作品が吊ってあるスペースの周囲に、 MUJIの商品を使ったレリーフというのかな、壁掛けの作品があります。3つ目にキッチン用品売り場の柱についているモニター。「今日の彫刻」という作品です。2018年の展覧会は、実際にMUJIのモノを使って、基本的に加工はしないまま作品を作ったんですね。

伊藤さんは商品をぶった切るってお話しをされたんですけど、僕は逆に、いかにぶった切らないでそのモノを使って、違う視点を見せるかということを普段やっているんですね。そういうことを2018年で散々やっちゃったので、今回その方法で作る気力がありませんでした。そもそもあんまり作品を作る気がなくて、すごい困ったんですよね。(この企画の為に)作家を集めたところで満足してしまって。その中で何をしようかと思ったときに制作したのがこの写真です。

写真はMUJIのタグを使いました。MUJIの商品に付いているデータ、商品の名前・素材・サイズ・価格ですね。そのタグに切れ目を入れたり、曲げたりすることで紙の彫刻を作り、それを写真に撮って展示しました。なんでタグを使ったかというと、まず僕自身は、MUJIの商品をかなり使い倒していて、もうそこに情熱がない。アイデアもない。その中でMUJIと言えるものは何かさらに探そうとしたときに、さっき鈴木さんが言ってくれたように、ちょっと横目…白目に写るぐらいっていうのかな。ちょっと気になるぐらいって言うんですかね。MUJIでちょっと気になるモノ、必ず脳裏に少し残ってしまうモノは何かと考えたんです。それが僕にとってはタグしかなくて。商品とか概念じゃなくてタグでしかなかったんですね。タグが僕にとってはMUJIの価値で、MUJIがしょってる価値に見えたんです。その価値を形にするっていう。無理やり彫刻にすることで、MUJIの価値というモノは何か。作品を見た人に「タグかもしれない」と思ってもらう。そういうことをしました。

【椋本真理子助手トーク】
椋本です。私は普段、グラスファイバーといってプラスチック素材を塗装して作品を作っています。これまでモチーフとしてダムや水門、堤防といった巨大人工物、最近はそれに加えて噴水というモチーフも扱っています。今回の新作は、無印の商品を使って制作をするということで、これまで既製品を作品に取り込むということにすごく憧れがあったんですが、なかなか踏み切れなくて。出来上がってるものをどう自分の作品に取り込めばいいのかと。一度経験はあるんですが、やっぱり既製品の部分だけ浮き上がってしまうというか、自分の作ったものと離れ離れになってしまうことがあって。今回強制的に商品を使って制作しなければいけなくて、とてもよい機会を頂いたと思って頑張りました。まず本当にどうしたらいいかわからなかったので、とりあえずネットで商品欄を全部見る。気になったものをマークしていって、ピックアップしたものから更に気になるものを抽出していくという作業をしました。商品の機能を一切考えずに形だけでまず商品を選びました。作ったモノは、テーブルの上にある噴水の作品と、店内左側の黒い床にあるダムの作品です。


慣れていくと割とアイディアが出てきて、冨井さんに相談したらそんなに持っていくの?っていうぐらい。だから今回は、意外と支障なく進めることができました。噴水の作品は上の青い部分だけはグラスファイバーで作っていて、下はゴミ箱です。もう一つの作品はファイルボックスを堤防に、水をせき止める形に見立てて作品を作りました。良いものができたと思っています。強制的に既製品を取り入れて制作をするということで自分の中で別のシリーズができそうで、これからまた既製品を取り入れていく作品は続けていきたいです。今回いいきっかけになりました。

鈴木(司会):冨井さんご自身は元々 MUJIの商品で展覧会をされた経験はありましたが、他の皆さんの商品の選び方というか、どういう発露で作品を作ったかというのは気になって。設置も作家が自分でほぼやって頂いて。
冨井:全員同じ日に来てやりました。
鈴木(司会):その中で小林耕平さんだけが、作品をスタッフに託するスタイルで設置でした。それは手を抜いたとかではなく、映像の中で使った作品をムサビのスタッフに対して、置いといてと。
小林(耕):個人的な都合で置けなかったんだけど、誰かが代わりに置いてくれてもいいかなっていう。探しづらいところにありますよね。時間が無かったのもあって、もしお願いできるんだったら置いてもらおうかなと。基本的に、今回は特に作家性を出さないっていうことが重要なので、むしろ僕の中で鑑賞者として探したいなっていうのがあって。だったら「店内の色んな所に置いてみてください」とお願いしたら、会場のスタッフが色んな所に置いてくれて。テーブルの上にある粘土作品は、自宅の玄関前に敷き詰めてある砂利の上に粘土の塊を置いて、サンダルで踏んだものです。これが食べ物に見えたらしく、そうしたらここに置いてくれて。鈴木(康)さんからも、そこの棚に置いてある食材を使ったの?と指摘されたけど、関係性を見出してくれたのは面白いなって思ったんで。そういう感じで店内の色々な場所にひょこっと忍ばせてくれたっていうか。
鈴木(司会):それ置いたのは私で、全然そんなこと考えないで置いちゃったんですよ。だから逆に言うとお店の中なので、偶然もたくさん残ったなという気はしていて。
小林(耕):僕からすると足で踏んだモノだから、テーブルの上にあるのも抵抗感があったんだけど。
鈴木(司会):伊藤さんも、設置の時に最後までこだわっていらっしゃった部分とかあって。
伊藤:新作についてこだわったところは、モノ(MUJIの商品)に対する異なる解釈ではなく、MUJIの新作のようにしたかったことが特徴なんじゃないかと思います。この展覧会のリーフレットの裏にどんなモノを使って作ったのか書いてあるんですけど、2つ以上のモノを使っています。MUJIの商品がいくつかの部分で出来ているように。だから、そういう状態がわかるように展示したかったということと、もう一つは装着する物なんで、鏡の面がどんな形で身体的に解釈されるのかということが展示でわかれば本当はいいんだけど、ここは普通の美術館じゃなくて店舗ですし、そういう場所で、どういう経験が得られるのか考えながらやりました。これが美術館だったら単純に目線で展示したりするんですけど、ここではそうではなくて、例えば商品越しに、変なのもが見えて、何これ?というような感じから入るとか。この店舗独特の視線誘導があるかもしれませんね。
冨井:伊藤さんとも長い付き合いではあるんですけど、やっぱり作家に対しての浅はかなイメージってあるんだなって今回気づかされました。伊藤さんは、「ボート」のシリーズ、結構な作品数があるんですよ。今回のバージョンの他にもすごい数があって、それに加えてMUJIの1点でも作ってくれればいいかなと思っていましたが、「5点作る!」っていうことを言われ、申し訳なさと、さすがだなっていうのと。とんでもない人だなと思いました。伊藤さんの中で、(今回の作品のように)これまでの作品のフォーマットに基づいた上で材料をMUJIで全部統一するという様な、既製品の扱い方に対してのルールはあるんですか?

伊藤:既製品の扱いについては、もちろんそのルールはあるんですけども、MUJIの商品を解体することによってわかったことがいくつかあって。まず解体すると、そのディテールがわかりますよね。独特なものが多いです。そこから入って、ディテールをできるだけ生かすようなやり方で制作しました。小林耕平さんが、MUJIの商品のコンセプトは世の中に役に立つことと言いましたけど、今回の私の場合は「今何が必要なのか」がコンセプトだったような気がします。「上を向いて歩こう」というタイトル通りナンセンスなものですが。そのために必要な素材だったり作り方だったり、ディテールだったりするんですけど。それをMUJIの中から探すことです。そこで思い出したんですが、今、MUJIはこんなにたくさんアイテムがありますけど、昔はもっと少なくて、その結果何が必要なんだろうかと、当時強烈に考えさせてくれました。便利だとかシンプルだとかではなくて、そういうことを感じさせるようなモノ。基本的に今回作ったモノって全く役に立たないけど、MUJIであることと、「実は必要な“モノ”ってあるのか」と考えること。そういうことが重なってくると、もしかしたら意味があることになる気はしました。だから既製品としてでも作る作法はある事にはあるんですけど、MUJIだからということもあります。5つ作ってしまったのは、身体的に、体に吊るす機能って一つだけじゃなくっていっぱいあるから、5種類ぐらい出した方が面白いかなという単純にそんなことですかね。
鈴木(司会):商品のことで言うと、小林孝亘さんがお玉が美しいと仰って、そんな目でキッチンツールを見たことないから、ちょっと新鮮だったというか。無印と美しさって結果的に美しいかもしれないけど、面白い探し方だなと思いました。
小林(孝):お玉が綺麗だなっていうのは、選ぶ段階での形の綺麗さっていうのはあったんですけども、梅酒を作るという用途も含めて綺麗かなと。こういう場合はある程度モチーフは必要なんですけども、モチーフを描くために描いているわけではないので、自分の本来の変換のやり方で描きます。だから、モチーフを元に描いたとしてもそのモチーフが消えて、描かれた形を介して何か違うものが見える。今回の場合は無印という匿名性ですごくシンプルなデザインだから尚更なんですけども、特定のモチーフを使ったっていう。のりもそうなんですけど。その意識が結構、最後までつきまとってきたなと。僕はいつも自分の好きなモチーフを好きなように描いていますが、不二家のペコちゃんをテーマに作品を描いたことがあって、ペコちゃんが強烈なキャラクターだから、ある程度、強烈すぎるから消えてしまう部分はあったんですけれども、今回はシンプルで普段自分が描いているものに、どちらかと言えば近いモチーフだったから、逆に難しい所かなっていうのはありました。あまりモチーフの美しさを見出しすぎてもいけないのかなっていう。
冨井:小林さんは(参加の)お願いをしたときに…鈴木さんにも似た様なことを感じているんですけど、小林さんの作品は“個”がある様に見えて、逆にどんどん個が消えていくというのかな。例えば、お皿の絵を描かれるときに、何も乗っていないお皿を描かれるんだけど、何もないお皿じゃなくて、食べた後かもしれないし食べる前かもしれないお皿じゃないですか。そういう意味での“個”がないっていうのかな。そういう存在で絵を描いてきているから、やっぱりMUJIとピッタリ合いすぎるのかな?っていうのもあって。でも、その親和性を小林さん自身が実感されてて、それも理由で引き受けると言ってくれたことを覚えてるんですよね。
小林(孝):できる要素があるなっていうのがあって。案外“個”みたいなものは、話をもらったときに少しはあったけど。描き始めてだんだんわかってくる難しさみたいなものはあります。
鈴木(司会):鈴木さんは、商品を探すというよりも自分が持っていたコップを使いたいという小さい「たね」みたいなものはあったのでしょうか。
鈴木(康):そうですね。ずっと身近にあったということもあるんですけど。最初の打ち合わせに参加できなくて、下見もできなくて、自立するようなものを出そうと思いました。なので台座の上に完結している作品になってしまって。どこからが作品なのかわからないような展示もしてみたかったなという気持ちもあって、ちょっと悔しかったです。この制作スケジュールの中でできることは何か、様々な要素を考えていったときに、ふと十何年も一緒にいる半分のコップのプランにチャレンジしてみようかなと。

小林孝亘さんの作品について、観客としての感想というか、ハッとさせられたのですが、小林さんの描いたお玉には小林さんが感じとった美がそこに温存されていると思うので、僕らはそれを新鮮な感覚でなんだろうって近づいていきたくなります。それで、近づいて行ったら、そのお玉の上に黄色い“何か”があって…。先ほど、ご本人も“何か”とおっしゃってましたよね。定かではないみたいな感じで。僕はあの商品を見たことがなくて、得体の知れない“何か”だったんですよね。これは一体なんだろうと。MUJIにあるモノは一目瞭然で、誰しもがもう知ってるようなモノであるはずだと信じていたところがあって、これMUJIの“モノ”なんだろうか?と思ったんですね。今回はMUJIの商品をモチーフにするというルールがあったからこそ生まれた驚きでした。だからある種、僕にとっては衝撃的で、僕が知っていたMUJIはこんなんじゃなかった、変わっているということを強く気づかされるきっかけになりました。定番とは何か、MUJIはこうあるべきってことが実はないという。アクリルのコップも廃盤になっていて、一瞬、ひどいというか残念だなと思いつつ、同じものを売り続けるのは難しいだろうなとすぐに思いました。売り場にはそのとき思わず手に取りたくなる、買いたいと思わせる“何か”が必要だなと。もうあの頃のMUJIはないんだな、みたいな不在感。そういうことも「残像のコップ」というタイトルを付けたことで想起したんです。あとは以前にMUJIが開催したデザインコンペのトロフィーを作らせていただいたのですが、その時に原さんが、メインビジュアルに水が入ったコップの写真を掲げたんです。無印良品はこうありたいという姿をそこにのせて。それを思い出してコップというモチーフから自分なりにMUJIを考えてみようとも思いました。もうちょっと今のMUJIと対話するような作品をまたつくってみたいと思ったところです。
冨井:今のMUJIってどこから手を付けたらいいんだろうね。
鈴木(康):無印良品のロゴなど、アートディレクションを手がけられた田中一光さんと学生時代にお話したことがありました。東京造形大の客員教授だったので年に数回講義をされていました。怖いもの知らずというか、なぜか引き寄せられて近づいていって。当時、僕はタバコのポイ捨てが気になって携帯灰皿を何十個も作って友達にプレゼントしてたんです。無印良品はお手本だったので、参考にするために見に行ったら携帯灰皿がなくて、田中一光さんに「無印に行ったら携帯灰皿もふつうの灰皿もなかったんですけど、なぜないのですか?」って伺ったところ、「僕は商品の細かいことまでは知らないなぁ」とおっしゃって。無印の広告を手がける方が商品を知らないんだと、学生だったこともあり、ちょっとショックを受けたのですが。その時、田中一光さんは休憩中だったのでタバコをおいしそうに吸われていて。僕は瞬時に「無印良品に灰皿がないのは、思想や理念としてタバコというものを排除してるんですか?」みたいなことを伺ったんですよ。そしたら「僕はタバコがとても好きだけど、そういう見方をするのは面白いね」みたいな感じで答えてくださって。それだけの話ですが、貴重な時間だったんです。無印良品がどう作られているか、そこに抱いていたイメージを自分なりに考えるきっかけになりました。何が言いたかったかというと、伊藤先生も先ほど仰っていた、当時は商品になってるモノが限られてた。今はむしろすべてが無印良品で揃うみたいなことが当たり前になったので、「ない」ということに価値が生まれなくなっているのではないかと。コンセプトの衝撃は永続的である必要はないとしても、MUJIに特別感を感じることはなくなってきていると思います。
冨井:矛盾しますよね。 MUJIなのに特別感っていうね。作品にしようとするとそれが際立ってしまう不思議なスパイラルに巻き込まれるみたいな。
鈴木(康):でも、単に僕がズレているようにも感じていて、生まれた時からMUJIがある人達ともっと話してみたいです。
椋本:冨井さんに質問ですが、ちょっと印象的だったことがあって。搬入が近づいてきた年末ぐらいに、冨井さん「まだ何もできてないんだよね、どうしよう」と困っていて、年明けぐらいにお会いした時に「みんながどういう風に商品で製作をしてるかなんとなくわかった」みたいなことを言ってて。それで出てきたのが、レリーフの作品なんですけど、そこで何を掴んだのかってすごい気になりました。

冨井:そんな大したことじゃなくて、単純に盛り上がりっていうのかな。お題に対してのテンションの上がり方って、今回たまたまお題がMUJIの商品なんだけど、作家それぞれにそのお題に対して盛り上がる沸点があるじゃないですか。例えば、伊藤さんがどこで急に盛り上がるかとか、小林さんがどこで盛り上がるのかとか。皆さんそれぞれにそのタイミングがあったと思うんだけど、僕は全くなくて。一緒に下見に来たときは、「皆さんにどういう風に制作してもらったら良いのだろうか」ということしか頭になくて、自分の事はどうでも良かったんだよね。僕の心配をよそに、皆さん空間とかモノに対していきなり考え始めて。とても買う人の態度じゃないんですよ。小林耕平君は「本を読んだら感動した、もう一冊買おうかな」とか言ってるしさ。大丈夫かなとか思ってさ。とんでもない客だなって思って。そのテンションが上がった時のポイントがわかんなかったの。スイッチの入り方が。だから逆に皆さんに質問したいのは、どういうスイッチの入り方でMUJIと接したのかなと。椋本さんに聞いてみようかな。
椋本:私も全然入らなくて、無理やり入れた感じですね。スイッチを無理やり入れるために、ひたすら商品を見る。すりこんでいって、もう商品が形にしか見えないという所まで持っていきました。
冨井:表現の心拍数を一気に200まで上げるみたいな。
椋本:そうでないと、そのモノがこれはコップである、というような固定概念に引っ張られすぎてしまって。それに対して何をアクションしたら良いのかわからなくなっていくので、とにかく見る、視る、観る。店舗に行ってみたり、ウェブで見たり、概念を消す作業をすごくしました。無理やりですね。
冨井:でも結果的に椋本さんの作品のフォームにグッと強引にはめるって感じだったでしょ。そういう意味では、伊藤さんも形になってるんですよ。ぜひ伊藤さんの作品を画像検索して見て頂きたいです。同じ形になるんだったら使う必要ないわけで。その辺どういう風に考えたのかなって。
伊藤:今回、一番発見した大きなことかもしれないんですけど、これは本当はやっちゃいけないことだということです。だって無印良品という役に立つモノを役に立たないモノにして無印良品の店においているわけだから、こんなこと絶対にやっちゃいけない。でもそれをやるのっていうのはものすごいテンションが上がる。どこでスイッチが入ったのかというと、その時なんですよね。他のこと全てにおいて言えることかもしれないんだけど、大体やっちゃいけないことをやるときは何かしらルールがそこに介在して、そのルールと抜け道とで成り立っていたりするんだけど、我々の場合、美術がルールだったりする。無意識になってしまってるのだけど、これ美術だったんだということが今回この在り方の中で改めて感じました。
小林(孝):僕の場合は、普段はモチーフを扱ってるんだけども、モチーフを見て描かないっていうのが基本にあって。今回は自分が選んだモチーフだったから、一応手元に置いて絵を描き始めたので、やっぱりいやでも見てしまう。モチーフを見すぎて、最初全然ダメだったので。僕の描き方はモノを見ずに描くけど、絵を見る。絵がどうできてるのか見ながら描いていくタイプなので。途中からもうモチーフは見たらダメだなと気づいて、モチーフは見ないようにして、絵だけを見るように描き始めて、段々と描き進められるようになったのかな。。
冨井:小林さんはいつも見る生活してるんだろうなって思ったんですよね。「見る」っていう生活を淡々と続けているというか。だから今回の様に制作時間がかなり圧縮される中でテンションを上げることは、すごい大変なんじゃないかなって思ったんです。。
小林(孝):普段は淡々とテンション上がらずに描いてて、僕は普段の絵で言うと、一番最初に何をどう描こうかっていうのを決めるから、キャンバスに描き始めた時と仕上がる直前はすごく楽しいっていうか、あぁできそうかなって。例えば制作に一か月かかるとしたら、ほぼ一か月は辛い。描いたら描かないといけないところが見えてくる。そういうやり方なので。最後、次の一筆で仕上がるという時が一番テンション上がるというか。普段の淡々とやらないとっていうような気持ちに、起伏があったかな。
冨井:起伏があったんですね?
小林(孝):自分の気持ちの中で、いつもはまだできないけど、こうやれば見えて…まだまだっていう、できなさ加減が今回はあった。
冨井:小林君どう?

小林(耕):この企画に誘ってくれた冨井君を恨むぐらい今回作品ができなくて(笑)。プロダクトデザイナーにはもちろんなれないし、作家として何も作れないってどうなんだろうって感じもあるんですけど。一番できないことやった方がいいじゃないですか。その時に僕の中で、基本的に嘘を本気で言うしかない。みんな騙して開き直るみたいな。だから結果的にいつも一緒に制作をしている山形君に色々投げちゃいました。無理難題言えば彼からなんか出てくるだろうみたいなのが一つと、あとは今回映像を担当してくれた渡辺さんや山倉さんが、店内をスタジオのように照明まで全部やってくれて「これでいきますよ」と。これまでこんながっちり撮影したことないや!みたいな感じで。搬入3日前の閉店後に撮影時間も一時間ぐらいしかなくて、一発勝負。これだけビデオとかメディアが出ている時代にフィルムのような撮り直すことができない撮影をすることはおもしろかったですけどね。今回は一発で全部やらなければいけない感じで本当にどんどんその場で決めていくみたいな。逃げ切れない感じでした。
冨井:小林君自身がMUJIだったんだね。ディレクター的な立ち位置っていうか。概念に感動したんですよ。
鈴木(司会):ある日突然、「僕これを用意したいんですけど」みたいな理路整然としたメールが来たじゃないですか。全くどんな作品になるのか予想できませんでしたが、あのメールにものすごい安心しました。おお、これでいける!と思いました。結構鮮烈じゃなかったですか?
小林(耕):いつも作る自信はないけど、とりあえずメールで「これでやります」ってアイディアを送るんです。ただ今回は、そのあとずっと後悔してたんです。
冨井:ある種のテクニックだよね。
小林(耕):「できます」って言ってできなかった方がおもしろい。でもやっぱり無印の“場の力”ってすごいですね。この作品で使った粘土は「美濃の赤土」なんですけど、以前他の展示のために購入したのですが、その際には一番うんこに近い色を探してたんですね。今回も、みんなうんこ片手に写真撮ってるみたいな感じがしたら面白いかなって。ここへその粘土を持って来たら MUJIの色と一緒だ!みたいな。クッキーみたいだし、妙に馴染んでしまったなと。
冨井:今回の映像は、ちょっと珍しいよね。小林君と僕は同年代で、付き合いも長いんですけど、これまでは、基本プロジェクターで見せていて、今回の様な3面のモニター、3面で切れてるのって初めてじゃない?
小林(耕):そうそう。すごいんですよ。撮影してくれた、山倉さん・渡辺さんのアイデアでもあるんだけども。両サイドのモニターで話してるじゃないですか。真ん中のモニターに挿入の映像が入ってくるんだけど。その映像を撮影しているカメラマンの姿が、画面の中に写っていない特殊なことでもないんだけども、ちょっとしたアイディアで映り込んでいるカメラマンをなくすことができる。映像やってる人だったら良くわかるかもしれないんですけど。
冨井:言いたかったのは、小林君自身が投げかけをとにかくしていくっていうのは、一つの小林作品のフォーマットなんだけど、今回は特に出演者が演じているという印象が強いんだよね。いつもは投げかける人のキャラクター設定が画面の中に強いんだけど、今回そういう主張があんまりなかったのは、やっぱり制作時間とか色んな工程が短かったからなのかなと。
小林(耕):いや、本当に焦ってた。だからそういう意味ではいいですけどね。失敗できない感じは。結構言葉出てこないし、全部映像で編集しながらダメな所を削って、字幕で直したり。よく聞こえなかったら字幕で言葉直したりとか。あの中で映像やカメラ否定しながら、すごい頼ってる作品でもあるんですけども。
鈴木(司会):あれは4Kですよね?
小林(耕):そうです。そういうカメラなんて使ってちゃダメだって、映像の中で言ってるんですけど。1時間撮影したのを20分まで縮めたんですね。僕の中では短いですけど、皆さんにとっては長いですよね。

鈴木(司会):店舗内でこんな大規模な展覧会をできたのは、私が記憶する限りでは初めてで、普通はギャラリースペースみたいな所で展覧会をやるんですが、MUJI.comの店長がかなり面白い方で、「なんでもいいですよ」と言って下さって。無印良品は現在、商品が約7000品目ありまして、ものすごい数の商品の中を、短い時間で皆さん色々本を読んだり、作品を探して頂いたりしてこの展覧会は出来上がっています。冨井さんが、「この人たちだったら面白いんじゃない、できるんじゃない」って仰って、この展覧会は開催できることになりました。正直、一番最初の頃は、こんなにすごい展覧会にできると思っていなかったんです。それは失礼とかなんでもなくて、本当に“たね”ってつけた通り、すごく小さく始めようという意味で、でも大きく育てよう、そのためには作家やお客様、そういった方々から水や栄養をもらって、大きくなるといいなと始めた最初のたねが思ったよりものすごい“たね”だったっていうのが、個人的な感想です。最後にこの企画の土を耕した冨井さんからまとめて頂けたらと思います。
冨井:僕もこうなるとは思っていなかったです。やっぱり僕は美術とか表現の本懐は「とりあえずやってみよう」、そこから出てきた結果を受け止めて、「どう考えよう」っていう。色んな解釈があって、要はバラバラにどんどん飛んでいけばいいんですよね。だから内輪で企画をして、こういうことをとりあえず起こせば、それを見た誰かがまた何かやってくれると。「Mのたね」のタイトルがずっと続くとすると、その結果や色んな総体が「Mのたね」っていう概念になればいいし、概念って本来決まりきったもんじゃなくて、いくらでも動ける。動けるんだけど、許容できるのが“真”であり、“概念”でありっていうことかなと思うので。そのきっかけになればいいぐらいに思ってたんですよ。だからそういう意味ではすごい期待してもいるんだけど、ちょっとしたことで良かったし、ちょっとしたことでなんかできる人たちを誘ったつもりだったんですけど、まさかこんなにしてくれると思いませんでした。伊藤さんも、「1点でいい」と言ったのに、「全然商品が来ない!」とか言い始めて、そんなに来ないほど頼んでるのかなと思って、「1点ぐらいでしょ?」と聞いたら「5点!」って言われて。こんなことに追い込んでしまって本当に申し訳なかったなと。結果的にこれだけのものになるんだなと思いました。だから今思うのは、展示を見に来た人がどう思うか、こういう場所をどういう風に利用してくれるかが大切。展示でもあるんだけど、展示って“場”でもあり、“時間”でもあり、いわゆる「チャンス」でもあるので、それをどうやって活用してくれるのかが、この展覧会の「価値」になると思います。我々はこれで価値を見出したと思うんですけど、本当の意味の「価値」はここから、どう使われるかということだと思います。
鈴木(司会):本当に武蔵野美術大学の底力と言いますか、感心と感謝しかありません。お客様がいらっしゃって初めて、こういったものが成立するものなので、色んな言葉を私達にも、まだ見てない方にもかけて頂けたらと思います。このあとも私達おりますので、皆さんとお話ができたらと思っております。ぜひ引き続きこちらの活動にご注目頂き、ご参加頂けたらと思います。では、本日はありがとうございました。


photo:Masaru Yanagiba